依存症を理解する上で役に立つ中動態とは何か? 関連する本の紹介

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みなさんは中動態という言葉をご存じでしょうか?
能動態や受動態は聞いたことがある・知っているという方は多いと思いますが、
中動態を知っている人は多くはないかと思います。

能動態と受動態は簡単に説明すると、

能動態:自分が何かを「する」
受動態:自分が何かを「される」

このようになると思います。

一方中動態は、
能動態でも受動態でもないもの
というあいまいな意味で使われている事が多いようです。

しかしこの中動態を詳しく分析していく事で分かってきたことが、
依存症の当事者・支援者にとって
大変役に立つという考えが出てきました。

厳密には依存症とは異なりますが、
子どもの療育に関わっている人たちも
ネット依存やゲームに依存している子どもに
出会う機会が増えているのではないでしょうか。

私もまだまだ経験は少ないのですが、
インターネットを介したゲームが発端となって同級生とトラブルになったり
昼夜逆転で学校に遅刻するようになったり
親に隠れて課金していたのが発覚するといった
事例に遭遇します。

本人はやめたい/やめなければならない
と思っているのになかなかやめられないという事態を目にして、
多くの人はその人の事を

意志の弱い人

という見方をします。

私はどちらかというと
強い意志によって行動することが良い事だと思っていましたし、
他者には責任感を持つよう求めることがありました。

しかし、これから紹介する本を読むことで
意志や責任という言葉では言い表せない視点を持つことができ、
周囲の見え方が良い意味で変わったと実感しています。

その本は「意志」やそこから派生して出てくる「責任」についてを
中動態という視点から読み解いています。

ぜひみなさんにも知ってほしいと思いますので、
次の章で本の紹介をしていきます。

本の概要

今回紹介する本はこちらです。

タイトル:中動態の世界-意志と責任の考古学
  著者:國分功一郎
 発行所:株式会社医学書院

この本は、
人が能動/受動的に行動する事で生じるとされている意思や責任というものが
果たして本当に存在するのだろうかという
疑問を契機に文章が続いていきます。

日々の生活には

上司に言われて仕方なくやっている
みんなの意見を参考にして行動する

このような状況はごくありふれたものになっていますが、
これを能動/受動で説明すると上手くいきません。

最初に例として出した
上司に言われて仕方なくやっている
で考えてみると

誰かに「言われてやる」のは「受動的」といえます。
しかし今「やっている」仕事は自分が「している」事なので
「能動」で表現されます。

そうなると自分の行動が能動か受動か
分からなくなる場面は多いのではないでしょうか

ではこの場合、
自分の意志で仕事をしているのか
上司に言われてやっているのだから自分の意志ではない仕事なのかが
問題となります。

さらにはそこから発生する責任は誰にあるのでしょうか

自分がしていることだから本人なのか
はたまた上司に言われてやっている事だから自分に責任はないのでしょうか

このように考えていくと非常にややこしい事になっていくのですが、
中動態の世界を知る事でこの状況が理解しやすくなるのです。

本書は

「私が何事かをさせられている」のではなく
「私が何事かをなしている」と言いうるのはどういう場合なのか

この問いに迫っていくのですが、
その過程で言語学や哲学といったさまざまな
ジャンルの視点から解説を行っています。

その過程から、
中動態がどういうものであるのか
能動態と受動態の意味の捉え直し
哲学における意志の考え方を中動態で読み解く

このような内容が書かれています。

本書のポイント

私が思う本書のポイントは以下の通りです。

章の始めにある要約が分かりやすい

この本は内容が難しいと感じる人も多いと思います。
もちろん私もその一人です。

その理由として考えられるのは、
私たちは当たり前に文章の構造を能動/受動で考えてしまうからです。

この本は中動態について書かれている本なので、
そこから一度脱却する必要があるのですが、
そのために難解だと感じる人も多いと思います。

しかし、本書は章の始めに前章の話の流れをまとめて説明しています。

これが大変分かりやすく、
自分の理解の度合いの指針になってくれます。

まとめとして書かれた内容をふまえて次の話が進んでいくので、
何度も立ち返って確認できるのはとても良い点だと思います。

意志と責任に対する別の視点が得られる

著者は責任というものを考えた時に、
人は能動的であったから責任を負わせることができるというよりも
「責任あるものとみなしてよい」と判断された時に
能動的であったと解釈されると述べています。

この点についての詳しい説明は本書を読んで頂ければと思うのですが、
責任を負わせてよいと判断された瞬間に
意志の概念が現れるという特徴があります。

アルコールや薬物依存者について考えてみると、
その背景には何か耐えがたいものを抱えている方がほとんどです。

この場合、

自らの意志で過剰摂取を能動的にした
依存から抜け出せない人は意志が弱い
アルコールや薬物に手を出した本人に責任がある

そうせざるを得なかったという背景を持つ人たちに対して
果たしてこれらの言葉は適切に状況を表しているでしょうか。

またそのような人に対していきなり責任を問うのは
適切とは言いにくいのではないでしょうか。

それでは能動/受動における意志や責任は必要ない考えかといえば
そうではありません。

例えば殺人や性犯罪を考えた時に、
責任の根拠は能動か受動かで判断されるのではないでしょうか。

能動/受動で考える必要がある場面が存在する事は認めつつも、
中動態から意志と責任を考える事によって
強い意志こそが依存を乗り越える唯一の方法だ
という偏った見方とは異なるものが必要であると分かります。

ここは本書の重要なポイントだと思います。

中動態に対する考察の深さ

これまでの本は、
中動態とは能動でも受動でもないものという説明がなされており、
あいまいな点が多いというのがあります。

本書はこのレベルの説明から脱却するため、
まずは文法の歴史をさかのぼっていきます。

すると能動態と受動態の関係性で文章を成り立たせるのは最近のことであり、
元を正せば最初は能動態と中動態の2つの関係性が
先にあったことが分かると述べています。

さらには能動は現在の意味であれば
「〇〇している」という使い方になりますが、
この前提から変えていかなければ中動態を説明できないと述べています。

短く説明するのは難しいのですが挑戦しますと、

能動/受動では誰が何をしたのかという事が強調されるという点で、
行為の「方向」が分かりやすい文法です。

しかし中動態は行為の「質」を重要視するのです。

誰しもが完全な能動で行動することはできませんし、
必ず何かしらの影響を受けています。

それを能動か受動かで説明することはできませんし、
そういった意味では意志というものはあいまいなものです。

ここに至る過程は本書の主流であるといえます。

感想

私は普段あまり哲学の本を読まないので、
慣れない文面に難解だと諦めそうになりました。

しかし章の始めにある導入が秀逸で、
読み進めながら理解していった内容が正しい道筋かを確認できますし、
間違っていてもすぐに軌道修正ができる点が良かったです。

そして中動態の行為の質を大切にするという視点は
療育場面でも参考になるなと思いました。

子どもたちがどういった理由で色々な行動をしているのかを
考える事はとても大切ですし、
色々な影響を受けている事も考えなければいけません。

最初に述べたように
今は子どもたちの療育に関わっている人たちも
依存症の事を考えていく必要があります。

哲学的になりますが
私にとってこの本は
依存から抜け出せない子どもたちをどのように考えていくのか
芯となる部分を作ってくれたと実感しています。

まとめ

本書は依存症が明るみに出した問題と
中動態の概念は本質的につながっていることに
目を向けるとても良い本です。

詳しくは本書を読んでほしいと記載した部分が多いのですが
なかなか短い文章では十分に書き表せない事が多い本です。

普段依存症の方と関わる機会が少ない人にも
参考になる内容がたくさんありますので
ぜひお手に取ってみてください。

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